2.家族が認知症かもしれないと思ったら

その日は突然やってきます。
まさか、と思ったその時に動ける準備を始めるべきだと思います。

顔は浮かぶのに名前が出てこなかったり、名前はわかるのにすっと言葉が出てこなかったり、歳を取って忘れっぽくなったなぁと感じるのは高齢に限らず訪れます。
これは単なる物忘れ。

なかなか線引きは難しいのですが、それが《不思議》に感じる言動であれば、もしかしたら認知症の兆しなのかもしれないと思います。

結局すべて後からこうしておけばよかったと思ったことばかりです。
何も知識なく直面したこと、後悔から見えたことの記録です。


義母のケースです。
義母とは同居しておらず、義母は義父と2人で暮らしていました。

一緒に食事をしていたとき、義母は私の名前を間違えていました。
私は言い間違いだと気にも留めず、話を合わしていました。
これが 《まさか》認知症だとは思いもしませんでした。

この時、本当は義父や他の家族にそのことを伝え、家族と共に義母の様子を見るということを始めるべきでした。
何もなければそれでいいのです。
些細なことでも家族間で情報を共有する環境を整えておくことが最も重要でした。

離れて暮らしていることもあり、それぞれの生活パターンや暮らしがあり、なかなか密に交流することはありませんでした。
また、それぞれの立場からの《思い》もあり、客観的に現状を見ることすらできませんでした。

義母とは月に一度くらいのペースで会う機会がありました。
ある日、義母のウィッグが少しずれていることに気づきました。
さらに、いつもきちんとしているのに、袖口のブラウスのボタンが掛け違い。
この時が初めて《不思議》を感じた時になります。

この時点で、認知症の症状は既に進行しています。
やるべきことは、家族同士の意思疎通。
そして、その行動、言動のひとつひとつをメモしておくことです。

それは、認知症を知る上でも、これからの選択や対応にも大切なものとなります。
認知症→介護、を大雑把な流れだと無知な私自身、勘違いしていましたが、家族ができることは《記録》と《選択》なのだと今は思っています。

認知症だと確信はなくても、 《まさか》と思ったとき、それは既に始まっていると思って行動することが大切です。
まずひとつめは、日々メモを残してください。
認知症と思われる家族のメモです。
日記のように、自分の思いや感情はとりあえず置いておいて、客観的に見える事実を記録しておきます。
どこへ行き、誰と合い、どんな行動をしたか、《不思議》を感じた言動など。
そして、そのことを周囲が共有できる環境づくりを行ってください。
ふたつめは、本人に関わる人を書き出してください。
本人の兄弟や親戚、よく電話のある友達や仲のよいご近所さん、その方々の連絡先などを揃えておきます。
認知症も正常な状態の時があります。
本人と話をし、そういう関わりのある人の手がかりを聞き出しておいてほしいと思います。
これは、何かあった時、相談できる相手です。
困ったとき、何かしら意見を求めることができる相手です。
この人たちの情報も共有しておかなければならないと思います。

義父は、私が面倒を見るから心配しなくていい。
と、私たち息子家族の負担とならないようにと言ってくれました。
元気で頼り甲斐のある義父でしたから、安心して任せてしまっていて、義母の様子や状況をこまめに確認することもせずに過ごしました。
もっと客観的に冷静に考える必要があったのです。
何故なら、義父もまた高齢者。
いつまでも健康だとは限らないのです。
当然、私たち息子家族だってそうです。
だれがいつどうなるか、正直わかるわけないのです。
だからこそ、周りの繋がりが重要であり、情報共有しておかなければならないのです。
頑なに任せておけばいいという義父の言葉通り、任せてしまっていたことで、義母の認知症の症状は進行し、普通の会話がままならない状況下になりました。
そんな義母との生活の中で、義父自身、精神的にも肉体的にも疲労がたまっていきました。
それでも義父は、私たち息子家族に心配かけまいと「大丈夫だ」と嘘をつき続けていました。
全てが手遅れでした。
義母の縁者の名前も連絡先も、何一つわからないままです。

私たち家族はどんどんと選択肢を失っていきました。
そして何もかも土壇場で覚悟のないまま物事が動いていくことになりました。

次は、《認知症に向き合うための選択》についてお伝えしたいと思います。