3.認知症に向き合うための選択

家族の症状が認知症かも知れないと疑いを持ったら、すぐにできる行動についてです。
《早すぎる》ということはありません。
疑いがそうでなければ、それで良いのです。
事態が進んでいくほどに、動けない状況に陥ってしまうことになります。

身近な人だからこそ感情が優先されてしまいます。
冷静に受け入れるができるのは、疑いが確信に変わる前です。
例えば、癌という病気の宣告。
癌かもしれないと思っているうちは、まだ心に余裕があります。しかし、実際に宣告され余命を告げられた時から、様々な感情が動き出します。
現実を突きつけられてからの覚悟と、事前の覚悟とでは少なからず違いがあると思います。人の心はとても強く、そしてとても弱いのです。

義母のケースです。

何の準備も心構えもないまま、疑いようのない症状まで進行していました。
傍で過ごす父は、そんな母を献身的に支えていたものの、ひとりで何とかするものだと思い続けていたのだと思います。
ただ、もうそれも限界となっていました。
母の行動は、家の中だけではなく周囲に迷惑をかける状況にまで進んでしまっていたのです。そして、そこで初めて《外部に頼る》という方法を選択せざるを得なくなります。

その時点で《外部に頼る》選択肢は「施設入居」「入院」その2択。
ようやく「どうすれば」を考えることになりましたが、そこから長い道のりになりました。

裕福なご家庭なら、高級施設でゆったりと老後を過ごす、なんて計画を持たれている場合もあるかもしれません。ただ誰もが叶うとは限らないのが現実です。

そこで、介護保険サービスという支援が存在します。
65歳以上の方なら 介護保険被保険者証 が交付されているはずなのですが、私たち世代ではまだまだ先の事と、その内容にさえ無頓着。
親の介護問題など《いずれは》としか思ってもいなかったのですから。

介護保険サービスの支援が受けられると思っても、どうやれば受けられるのかわからない。とにかく調べるしかありませんでした。
その結果、 要介護認定 を受ける必要がある、ということがわかりました。
介護保険サービスを受ける資格があるかどうかを認定されるのです。
ここからです。
ここから認定を取る手続きを始めるのです。
義母の状態は悪化の一途だというのに、まず認定を待つ間、何も変わらずそのまま生活をしていかなければなりません。
仕事もあります。
事前に計画を立てていれば有給を取ることもできたかもしれませんが、義母の様子次第で突然休まなくてはいけない日が続いていきます。

介護認定は、本人の住む 市区町村 の窓口、つまり役所での手続きになります。
まず、電話をして必要なものを確認し、印鑑や書類、介護保険被保険者証 などを持って申請の手続きをすることになります。

その後、訪問調査が行われます。
担当者が、直接本人に会い、審査をするためです。

不思議なことです。
普段奇怪な行動をしている義母がその時に限って、いたって普通。
受け答えはしっかりとしています。
正直、困って困って困り果てている現状なのですが、父は外部の人間に義母の恥をさらしたくないという思いがあったのでしょう。
困りごとを敢えて話そうとしませんでした。

後から知ったことですが、認知症の場合、このようなケースは少なくはないそうです。そして、結果的に認定が下りないことも。
ひとつ前の記事で書いたように、情報を共有し細かなメモを残し客観的に把握できるものがあることが絶対に必要です。

審査のための訪問はなんとか終えましたが、そこから待つ日々の始まり。
審査が下りるまで一ヶ月ほどかかります。
その間、何もできず待つしかありません。
待つということは、家族で介護し続けるしか選択肢はないのです。
どうしようもなくなってからようやく動き出した我が家にあったのは、指折り待ちながら焦る気持ちばかりでした。

とても長い一ヶ月。
認定が下りました。
この時点で 要介護1 です。
家族が手を付けられない状況にも関わらず、それが現実です。

ここから本当の意味で家族での話し合いとなりました。
私たち息子家族は、疲労を隠せない父のことも心配で、施設への入居という選択しかないと思っていましたが、父は違っていました。
厳格な父が見せたのは、母への愛だと思います。
「死ぬまで一緒にいたい、絶対に施設にいれるのは嫌だ」
猛反対をします。さらに、
「家を売ってどこかの田舎で二人で暮らす」
とまで言い出しました。

何度も書いていますが、認知症の家族がしてこなかった覚悟と対策。
何もかも手遅れです。感情で考えることしかできなくなっているのです。

親とは言え、父の気持ちもわかります。
でも、それを了承することは私たち家族にはできませんでした。
その頃、父はめっきり痩せており、以前の恰幅のいい父とは別人のようでした。このままでは、共倒れになりかねない危険も感じました。
とはいえ、施設が受け入れてくれるかどうかは、また別の話です。

介護認定が下りたら、認定レベルに合わせてサービスを受けることができる状態です。
要介護の場合、施設への入居も可能となります。
ここで問題になるのは、受け入れ施設があるかどうか。
近くの施設に入れるかどうか、空きがあるのかどうかも含めて調べることになります。

施設といっても、種類も数もたくさんあります。
その中から受け入れ先を探すのは決して簡単なことではありません。
介護は介護として、《認知症》を受け入れてくれるのかも重要です。
入居者の状態、情報、サービス、条件、費用、すべてのことを比較検討し申し込みをすることになります。

結果として、義母は民間の有料老人ホームに入居することになりました。
公的施設よりも、費用がかかりますが、その時点ではそこしか受け入れてもらえなかった、ということになります。
比較的きれいな施設で、いろいろとケアもしていただき、食事や睡眠、徘徊の心配もしなくていいようになったのは、父にとっても、母にとっても良かったと思う一方、この決断には家族の大きな傷が伴いました。

施設への入居を選択するということは、単に介助、介護を第三者にお任せするということではありません。怪我や病気で入院するのとは異なります。
非情な言い方ですが、二度と家に戻れない環境に送り出すということです。


自宅で介護し続けるというのはとても大変なことです。
それでも尚、自宅で介護をし続けるには、それ相応の知識や精神力や体力、そして何かあった時の医療的ケアに対応できる環境が必要となります。
また、一方で施設入居を選択した場合、その決断を強いられる家族や本人の心は計り知れず、結果として、どちらを選んでも、これでよかったのか? と後悔が残るには変わりありません。

ただ、ギリギリで迫られた限られた選択肢と、あらかじめ話し合いができていた場合の選択肢とでは、心の在り方が少し違います。
それは、本人の言葉があるかどうかです。


今、とても後悔していることのひとつを書いておきたいと思います。
義母が認知症だと疑いを持った時、認知症についてのこと、これからのこと、本人を交え話ができていたらと思っています。

《認知症》を、ただ特別視して触れないようにしてしまったのが我が家の間違い。
私はいま、自分が認知症になったら、家族に迷惑かけたくない、と心から思っています。でも、《認知症》で判断ができない状況になれば、それを伝えることすらできないということもわかっています。
そういう話を元気なうちにするべきなのです。
義母の意志を知っていれば、 家族皆が 強い覚悟を持つことができたのです。

《早すぎることはない》
私がこれらの記事を書くにあたり、最も伝えたいことです。

次は、施設入居と家族それぞれの思い について書いていこうと思います。